2005年12月15日

それだけあればどれだけKOFが出来ると思っていやがる。



私の日記は長文で書いてある日はだいたい最初の一、二段落程に内容を理解するための予備知識とでもいうべきものが入っております(というか入っているから長くなるのですが)。説明描写をするということは人に何かを伝える時には不明のものを明るみに出すという意味において必要不可欠なものですが、上手く書かないとただ長いだけで閲覧者の皆様にとって冗長としかならないパートになってしまう恐れも孕んでいます。よく文章を書く時に『起承転結』の起の部分が一番難しいという話を聞きますが、それにはこういった理由も含まれているのだと私は思います。




私も文章を書いている中で一番難しく感じているのはその部分で、日記の執筆でも第一、第二段落‐上述した予備知識パートですね‐に一番時間をかけています。ただ、時間をかけたからといって良いものが出来ているとは思えませんし、ここらへんはまだまだ精進しなければならないと常々思っています。文章を書くこととは難しいものです。




しかし、逆に見知った友人や家族などと文章ではなく言葉で会話をするときには一言二言交わしただけで何の説明なしに相手の言わんとしていることが手に取るように分かったりすることがよくあるものです。これはある程度長く付き合うことでその人の性格みたいなのがだいたい理解出来ていることの表れでしょう。友情は行間を埋めるとでもいいましょうか。よくスポーツの世界でアイコンタクトという言葉を聴きますが、(程度の差こそあれ)それに近いものだと思います




例えば、こんなことがありました。私の友人の中の1人に口癖が「なんか面白いことない?」という奴がいます。この「なんか面白いことない?」と人に尋ねるのは私からいわせてみれば自分の求める者を他人に探してもらおうとする極めて受身的な表現であり、言い方を変えれば他力本願主義とでもいった考え方の象徴に近いものがあります。その友人が以前、出会い頭に私にこんな言葉をかけてきたのです。




友人:「鋼の錬金術師が面白いらしいぜ」




鋼の錬金術師、読んだことはありませんがネットなどの噂で名前は知っています。普通ならここから私とその友人のハガレントークが始まりそうなフリですが、違います。少なくともこの友人はそういった展開を求めているのではありません。それを私は上で説明した彼の性格と彼が発言の中である表現を使ったことにより即座に見抜きました。では、彼のこの発言をもう一度私のそれに対する返答も併せながら繰り返すことにします。ご覧下さい。

































友人:「鋼の錬金術師が面白いらしいぜ(訳1)」


私:「買わないからな(訳2)」





訳1:鋼の錬金術師が面白いらしいぞ。確かめる意味で読んでみたいからお前買って?

訳2:嫌だ、自分で買え。




posted by あびす | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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